「億ション」の一極集中は進む 昭和、平成、令和と変わる「住宅双六」
- 快適マンションパートナーズ 石田
- 3月27日
- 読了時間: 5分

2025年1月12日の朝日新聞アナザーノートの表題の記事を紹介します。
「1973(昭和48)年1月3日の朝日新聞朝刊に、「現代住宅双六(すごろく)」と題したさし絵が載った。
ふり出しは、母親のおなかの中。子供べや→寮・寄宿舎→木造アパート→公営住宅→社宅→賃貸マンション→分譲マンション、などへとコマを進め、上がりは「庭つき郊外一戸建住宅」だ。
考案したのは、空間工学が専門の上田篤・京都大助教授(当時)。一緒に掲載された記事の中で、「現実の庶民の住宅の住みかわりの傾向を、わかりやすく図化した」と解説。「国民の住居の最終目標が『一戸建住宅』にあり、『アパート』も『マンション』も、みなその間の『経過的な宿り』」と当時の様子を伝えている。 以来、半世紀余り。昭和から平成、令和と時を重ね、住まいを巡る状況は様変わりした。住宅の数は不足から過剰に、マンションは仮住まいから終(つい)のすみかへ、人気エリアは郊外から都心に、持ち家志向が薄れて賃貸派が増加……。 なかでもマンションは変化が著しい。全国の総戸数は、73年の32万戸から2023年に704万戸まで増え、存在感が高まった。今や都心部で暮らす大半の人が真っ先に思い浮かべる住まいだ。
令和のマンション事情を映すおもしろいデータがある。
姿を消した郊外の「リゾート系」
東京カンテイが24年10月にまとめた調査によると、19(令和元)~23(令和5)年の5年間に供給された新築「億ション」は、全国で1万7412戸。うち東京都内が1万3429戸と77%を占める。一方で、バブル経済期の1988(昭和63)~92(平成4)年の5年間をみると、全国1万4484戸に対して、東京は39%の5707戸。億ションの東京一極集中が進んだことがわかる。 「バブル期は千葉の房総半島や神奈川の葉山など、郊外のマリンリゾート地にも億ションが多く建てられました。しかし、今やリゾート系はほぼ姿を消し、タワーマンションなど都心のど真ん中の住居が大半を占めています」。東京カンテイの調査担当者はそう話す。
バブル期と令和を比べると、千葉の億ション供給戸数は435戸から38戸に、神奈川では3057戸から635戸に。両県は同じ5年間で大きく減った。 地価が高騰したバブル期は、開発エリアが郊外にも拡大。その後、バブルがはじけて都心の地価が下がるとともに、90~2000年代には円高が進んだ。工場の海外移転が進み、その跡地など大型のマンション用地が都心部にも生まれ、一極集中が加速したとみられる。
近畿圏も状況は似ている。大阪府の億ション供給戸数はバブル期1245戸に対し、令和の5年間で1401戸と微増。一方で、兵庫は1495戸から389戸、京都は457戸から215戸。ともに大きく減った。
「資産」としての住宅に
マンション価格はこの10年余り、右肩上がりで伸びてきた。国土交通省がまとめる不動産価格指数によると、2010年平均を100とした場合、最新の24年9月の値は戸建て住宅118.9に対し、マンション207.1だった。
価格上昇と億ションの増加。こうした変化で高まったのが、住宅の「資産性」への意識だ。将来売ることも考え、価値が落ちにくい家を選ぶ。マンションだと耐用年数が長いうえ、木造住宅と比べて家ごとの傷み具合のばらつきが小さい。中古市場で安定して取引されやすい。
いま住むマンションを高く売り、もっと広くて便利な物件へ移る。そんな新たな住宅双六のルートが生まれた。高値の新築をやめて、手ごろな価格の中古物件をリフォームして「上がり」に。自分らしいマイホームを求め、様々な選択肢が広がっている。
近年のマンション市場でもう一つ気になる変化は、供給戸数の減少だ。
不動産経済研究所が昨年末にまとめた市場予測によると、24年の首都圏の供給戸数は、前年より14%低い2万3千戸の見込み。建設業界の人手不足や働き方改革で工期が延びており、当初の見通しより減った。1973年の調査開始以降、ピーク時の2000年前後は8万~9万戸ほどだったが、最も低い水準になる。
25年も2万6千戸と低くとどまりそう。同社が年末に示す翌年の予測値は近年3万戸超が続いてきたが、大きく割り込む。 松田忠司・上席主任研究員は「工事費が上がり、郊外で建設すると物件価格の割高感が出てしまう。開発会社は、高値でも売れる都心の『駅近物件』などに供給エリアを絞っている。現在の高い価格帯で、年3万戸の市場規模は見込みにくい。これからも23区中心の開発が当面続き、価格は高止まりしそうだ」と話す。
多様化する「上がり」の姿
都心マンションという「上がり」はますます狭い道になる。
冒頭の住宅双六は改訂版も作られ、07年2月25日の日本経済新聞朝刊に掲載された。
上がりは「自宅 生涯現役」「都心(超)高層マンション 余生」「老人介護ホーム 安楽」など六つに拡大。マス目が渦巻き状に並び、中心がふり出しで、外周部の上がりへコマを進める体裁だ。1973年版は中心にある1カ所の上がりをめざす図柄だったので、逆方向になった。
住宅双六をいま作るなら、どうなるだろう。途中のコマにはシェアハウスなどの新たな住まいが登場し、上がりはサービス付き高齢者向け住宅やシニア向け高級マンションなども加わり、さらに多様化しそうだ。
生まれてからの住みかえもさることながら、令和の時代は死後の家の扱いも大きな関心事。自治体が独自に「空き家双六」を作り、住民に維持管理や相続を考えてもらおうと、体験の場を設けている地域もある。
我が身の住宅双六を振り返ると、入社後の転勤生活で8回の引っ越しを経験した。アパート、自宅を兼ねた住み込み局舎、賃貸マンション、分譲マンションの賃貸部屋(現在)など、様々な家に移り住んできた。上がりはまだ定まらないが、「住めば都」の思いは今のところ変わらない。」
今は年をとってから、一戸建てから街中のマンションに替わる人も多くいます。逆に、子育て世代が郊外の一戸建てや、公団の住宅に住むケースも増えてきています。
かつての住宅すごろくは過去のものになってきているように思います。
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