ナッジ理論は「小さなきっかけを与えて、人々の行動を変える戦略」です。行動経済学で用いられる理論のひとつとして扱われます。ちなみに、『ナッジ(nudge)』とは直訳すると「ヒジでちょんと突く」という意味です。
ナッジ理論は、2017年に理論の提唱者である行動経済学者リチャード・セイラー教授がノーベル経済賞を受賞したことで、アメリカの企業を中心に世界的に広まってきました。現在では、多くの企業のマーケティング戦略で利用されるほか、イギリスやアメリカの公共政策でも使われています。ささやかなきっかけを与えることで、人々の行動をガラッと変えてしまうことから、「現代の魔法」とも言われています。
以下にいくつかの使用例を紹介します。
「ナッジ理論」の使用例
1,ここは「自転車捨て場です。」の貼り紙で放置自転車を0に
放置自転車で悩んでいた雑居ビルのオーナーが「ここは自転車捨て場です。ご自由にお持ちください」という内容の張り紙を、自転車のハンドルの高さの位置に貼りました。その結果、ビル内に自転車が放置されなくなりました。
2, DJポリスが日本代表サポーターを「12番目の選手」として誘導
2013年におこなわれたサッカー・ワールドカップ日本代表戦による影響で、JR渋谷駅前にサッカーファンが殺到し、駅前のスクランブル交差点が大混雑しました。
しかし、警視庁の男性隊員の「皆さんは12番目の選手。日本代表のようなチームワークでゆっくり進んでください」というユーモア溢れるスピーチによって、混雑は緩和されました。逮捕者、けが人が出ることなく、大きなトラブルは起きませんでした。民衆の良心にさりげなく訴え、人々の自主性に委ねたスピーチはまさしくナッジ理論です。トイレに「いつもきれいに使っていただきありがとうございます」等の貼り紙がありますが、これも同じような効果を狙っているのかもしれません。
3, 小便器のハエに狙いを定めろ
経費削減をしていたアムステルダムのスキポール空港は、汚物で汚れた男子トイレの床の清掃費が高く困っていました。そこで、小便器に1匹のハエを描きました。その結果、トイレの床を汚す人が少なくなり、清掃費は8割減りました。
これは「人は的があると、そこに狙いを定める」という分析結果に基づいて、小便器を正確に利用させたナッジ理論です。この話はナッジ理論の最も有名な成功例といわれています。
4, 健康食品を利用者が取りやすい配置に
シカゴの学校では、生徒たちが野菜など身体に良いものを食べないと問題視されていました。そこで、「利用者が取りやすい位置に健康によい食べ物を置くことで、無意識に健康によい食べ物を取るようにする手法」を実践しました。結果、健康食品を選ぶ人の割合が以前に比べて35%増えました。
サラダの存在を意識させ、健康食品を選択させる手法は、まさに行動経済学に基づいた王道のナッジ理論です。スーパーやコンビニでも、お勧めの商品を、丁度目の高さに置くことで、売上を伸ばす等の対策がとられています。
5, タバコの吸い殻をアンケート投票権に
環境問題に取り組むイギリスのNPO団体「Hubbub」は、ロンドンのタバコのポイ捨て問題に対し、何か対策がないか考えていました。そこで考案されたのが「タバコの吸殻で投票するアンケートボックス」です。
たとえば「現在、世界最高のサッカープレイヤーと言ったら?」という質問です。言わずとしれた世界を代表するトップ選手、クリスティアーノ・ロナウドとリオネル・メッシが対象になりました。サッカー好きのロンドン市民らしい質問です。その他にも、「どっちが最高のジェダイマスターか?」というスターウォーズに関する質問や、「次のアメリカ大統領はどっち?」というアメリカ大統領選に関する質問など、バリエーションは豊富です。
もともと価値がないものにちょっとした工夫で価値を提供したアイデアはナッジ理論の成功パターンです。イギリス以外の欧州でも増えてきているそうです。
6,「ほとんどの人が期限内に納税しています」という政府からの手紙
イギリス政府の中で納税率の低さが問題視されていました。
そこでイギリス政府は、税金滞納者に対して「あなたの住む地域のほとんどの人は期限内に納税しています」という趣旨の手紙を送るようにしました。滞納者は強い社会的圧力を感じるようになり、結果として納税率は68%から83%に増加しました。人間は自分たちで考えているよりもずっと周りの人の行動や発言に影響を受けています。統計データを活用することで、相手の行動を促すことができます。 「2人に1人が○○しています」「90%の人が○○しています」と言葉を目立つように記載することで、読み手の「周囲と同化したい」という意識を刺激することができます。コマーシャルでも、日本一売れている・売上No1等の宣伝も良くみかけます。
難破船から避難する『沈没船ジョーク』という笑い話に、日本人には、「皆さんは、もう飛び込みましたよ。」というと、すぐに飛び込むという笑い話がありましたが、日本人は同化性の強い民族のため、効果的な方法かもしれません。
このように、公共政策にもナッジ理論は利用されています。
6,小学校の手洗い率の向上
バングラデシュの小学校にある屋外トイレ横に手洗い場を設置し、子どもたちの手洗い頻度を観察した研究です。この研究では、下記の2つの取り組みを行いました。
①トイレから手洗い場のルートに足型を描く ②手洗い場に手型を描く
その結果、①と②の取り組みの開始以前には4%程度に過ぎなかった子どもたちのトイレ後の手洗い頻度が、最終的には74%にまで向上が見受けられました²⁾。
習慣化されていない行動への対応として、このようにデザインを用いて取り組むことは非常に有用かもしれません。 今の新型コロナ対策に生かすと『手洗い石鹸や消毒用アルコールのボトルに絵を描いたりシールを貼る』という取り組みをすると、子どもたちにも良いのかもしれません。
先日、免許の更新に行った免許センターにも、床に順番と行先が大きく書かれていました。床の数字の順番に回れば、簡単に次の手続きが行われるよう工夫されています。横断歩道手前の止まれの足型等もナッジ理論かもしれません。
7,メッセージの主語を変える
病院内の複数の手洗い石鹸のボトルに、以下のどちらかのメッセージが書かれています。
①手洗いは感染からあなたを守ります。 ②手洗いは感染から患者さんを守ります。
メッセージをランダムに貼付をして、それぞれの石鹸の使用量に差があるかを調べた研究です。 結果としては②のメッセージの方が石鹸の使用量は多く、①と比較すると…なんと1.45倍であったのです³⁾。
これによって『他者を思いやることで人は行動する』という、かねてよりある行動の仮説が支持されることになりました。 実はこの理論に基づいた広告は、交通安全、分煙、マナー広告など様々な場で使用されています。
その他にも、『車のスピードオーバーを抑制するため、人間の目が入ったデザインのポスターを設置したら約10kmほど速度が下がった』や「店舗のシャッターに子供や赤ちゃんの絵を描くことで軽犯罪や迷惑行為が約2割減少した」など海外では多くの事例があります。
日本でも、スーパーのレジ等で、蜜を避ける目的で、足跡マークが床に貼られていますが、これも「ナッジ理論」の活用方法の一つです。
マンションでも、共用廊下を通路部分と専有部分で床シートの色分けをして、通路に物を置かないように意識づけたり、駐輪場に自転車1台毎のライン引きと部屋番号を表示して、自転車を乱雑に置かないように意識付けたり、「ナッジ理論」を利用した工夫は、いろいろ考えられると思います。
「ナッジ理論」は、これからも、いろいろな場面で、ますます使える理論だと思います。
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