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  • 快適マンションパートナーズ 石田

分譲マンションの歴史

最終更新: 2020年10月7日



 今回は日本の分譲マンションの歴史についてのお話です。

日本初のRC造集合住宅

 日本で最初の鉄筋コンクリート造の集合住宅は、世界遺産にもなっている「軍艦島」(端島)の社宅です。(端島30号棟)大正5年(1916年)に高島炭鉱が建てた、7階建ての集合住宅ですから、築年数は100年以上たっています。海の潮風の直接あたる過酷な場所で築100年以上で建っている姿を見ると、コンクリートの建物は100年以上持つものだと確信がもてます。

同潤会アパート

 分譲マンションの第1号としては、関東大震災の被災者用住宅として大正13年(1924年)から、建設された「同潤会アパート」になります。(東京・横浜に16か所建設)当初は関東大震災後の賃貸住宅として建てられましたが、戦後GHQの命令により住人に払い下げられ、事実上の分譲マンションになりました。立地が良く敷地面積にも余裕があったため、建て替えが進み、今では全てが姿を消しています。(唯一、青山の表参道ヒルズの一角に再現保存されています。)

日本初の分譲マンション

 当初から分譲された日本初の分譲マンションは昭和28年(1953年)に渋谷に建てられた「宮益坂アパート」(11階建て)です。この建物は東京都により建てられましたが、老朽化により2016年から建替え工事が始まりました。(築63年)

 民間の分譲マンション第1号は昭和31年(1956年)完成の「四谷コーポラス」(RC5階建て・28戸)です。分譲価格は3LDKで230万円でした。四谷コーポラスも2018年に建て替え工事が始まりました。(築62年)両マンションとも、立地が良かったことから、築60年程度で建替えられています。鉄筋コンクリート造のマンションは少なくても60年以上の耐用年数があることがわかります。

 マンションの供給が始まった昭和30年代前半は、住宅ローンも整備されておらず、高額所得者を対象とした高級マンションが主流でした。

第1次マンションブーム(1963年~1964年)

 昭和37年(1962年)に区分所有法が制定され、東京オリンピックが開催された1964年以降、国の持家政策の本格化に伴い住宅都市整備公団(現UR都市機構)を主な供給主体とした「階段室型の団地型」のマンションが多く供給されました。一方で民間は利便性の高い都内で高級マンションを供給していました。代表的なマンションは原宿駅前の「コープオリンピア」(1964年)です。当時の分譲価格は3000万から1億円でした。

第2次マンションブーム(1968年~1969年)

 この時代からマンションは価格を下げ、大衆向けの民間分譲マンションが増えてきます。荻窪や埼玉県川口市などの東京近郊に400万円から600万円の価格で50㎡(2LDK)程度のマンションが多く供給されました。香川県でも、労住協マンションの初期の建物が、この頃から、建設されています。

第3次マンションブーム(1972年~1973年)

 田中角栄元首相の「日本列島改造論」で不動産ブームがおき、土地に対する投機が始まったのがこの時期です。地価高騰の影響で新築マンションの平均価格が1000万円を超えました。1970年から住宅金融公庫の融資制度がスタートし「公庫融資付き分譲マンション」が全国で15万戸分譲され、マンションの供給ブームが起きました。「多摩ニュータウン」など、低額ローン付のニュータウンが各地に建設された時期でもあります。高松市屋島西町にも、1976年に住宅都市整備公団によって屋島第一団地が建設されています。

第4次マンションブーム(1977年~1979年)

 オイルショックによる不況から脱出し、東京への通勤圏として神奈川・埼玉・千葉にマンションが盛んに供給されるようになりました。民間デベロッパーの大型物件が増加したのもこの時期です。オートロック付きマンションもこの時期から供給されます。この時期に東京都の平均分譲価格は2000万円を超えました。ちなみに初めてのオートロック付きマンションは1975年建設の「ライオンズマンション高井戸」だそうです。

第5次マンションブーム(1986年~1989年)

 バブル景気で地価が高騰し、都心では10億円を越えるような超高級物件が供給され、1次所得者向けファミリーマンションは郊外に建設されていました。投資用のワンルームマンションも供給が増加しています。この時期に郊外型としては「光が丘ニュータウン」・都心の高級マンションとして「広尾ガーデンヒルズ」が供給されています。香川県でも、ダイア建設のダイアパレスや、穴吹工務店のサーパス、あなぶき興産のアルファマンション等がこの時期から販売されています。

第6次マンションブーム(1994年~2002年)

 バブル崩壊後、都心の地価が下がり1次所得者用マンションの「都心回帰現象」が起こりました。首都圏の新築マンション供給量8万戸越えが8年間も続く大量供給が起こりました。地価下落と低金利政策の実施で金利が2%代に下がるなどした結果、賃貸居住者がこぞって分譲マンションを購入しました。この時期の有名なマンションは55階建てで当時最高高さの「ライオンズスクエア エルザタワー55」や湾岸超高層タワー物件の「東京ツインパークス」などが挙げられます。この時代のマンションのキーワードは大規模化と超高層化です。

第7次マンションブーム(2003年~2008年)

 「ミニバブル」と呼ばれたこの時期には、高額物件が都心に多く供給されました。この時期の代表的なマンションは「パークマンション千鳥ヶ淵」や「元麻布パークハウス」等、超優良地に坪単価600万超の億ションが建設されました。ウォークインクローゼットやシューズインクローゼット等の設備も、この頃から流行りだした設備です。

第8次マンションブーム(2012年~2016年)

 リーマンショックからの景気回復を受け建築費の高騰の中、第8次マンションブームが起こります。大手不動産会社が手掛ける、湾岸エリアや駅前の大型再開発物件等が主役となりました。この時期の代表的なマンションは「ブリリア有明スカイタワー」や「ザ・パークハウス西新宿タワー60」などが挙げられます。2011年に発生した東日本震災の教訓から、「免振」「制振」「防災」等をテーマとしたマンションが多く供給されてきました。

まとめ

 今後もマンションは供給され続けるでしょう。リーマンショック以降は、大手不動産会社が建てる超高層マンションと、その他のデベロッパーが手掛ける中高層マンションに2極化してきたようにも思います。少子高齢化の中、どのようなニーズにあったマンションが、今後供給されるのか、楽しみでもあります。

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