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赤羽の団地「スターハウス」その意外な住み心地

執筆者の写真: 快適マンションパートナーズ 石田快適マンションパートナーズ 石田

更新日:23 時間前



全国に点在、戦後の貴重写真と共に歴史に迫る

2024年6月1日の東洋経済オンラインの表題の記事を紹介します。


今回の記事で、スポットを当てる団地の間取り図の一例。その形状から「スターハウス」と呼ばれる。(図:UR都市機構提供)


上空から見ると星のような形をした物件

 東京・北区、赤羽。飲み屋街としても知られている、下町情緒あふれる地域だ。ショッピングモールと住宅街が広がる赤羽駅の西口方面から、5分ほど歩くと、不思議な形をした建物が見えてくる。

団地に建つ、凸凹とした塔状の住棟。「Y」の字のように3方向に突き出た形状は、団地で一般的な長方形の箱型のものとは大きく異なる外観だ。

 この建物は、星のように見えることから「スターハウス」と呼ばれている。戦後の鉄筋コンクリート住宅の1つであり、全国各地の団地に建てられた。この旧赤羽台団地のスターハウスは、2019年に団地として初の国の登録有形文化財に登録された。2023年9月には「URまちとくらしのミュージアム」がオープンし、敷地内では文化財登録されたスターハウスを含む4棟の外観を眺めることができる。ユニークな形や存在感、景観に溶け込む姿を見て楽しめる。

 スターハウスが建てられてから60年以上が経ち、多くは老朽化によって取り壊されて数を減らしている。一方で近年、書籍や雑誌、新聞、テレビなどで取り上げられ、SNS上にもさまざまな写真が投稿され、建てられた当時を知らない世代にもその存在が広まっている。

 戦後に建てられたスターハウスの「形」にはどのような魅力があるのだろうか。

 スターハウスの歴史や保存の取り組みをまとめた『スターハウス 戦後昭和の団地遺産』(鹿島出版会)の編著者である、東京工芸大学教授の海老澤模奈人氏にも話を聞き、その変遷を探った。

「URまちとくらしのミュージアム」にある旧赤羽台団地のスターハウス(撮影:筆者撮影)


スターハウスの歴史は、第2次世界大戦後に遡る。

 戦時中に多くの木造住宅が焼け、国をあげて住宅不足の解消や、燃えない住宅をつくる必要に迫られる中、全国で鉄筋コンクリート造(RC造)による集合住宅の計画が進められた。

旧赤羽台団地の板状住棟(写真:UR都市機構提供)


 団地に単調な箱型の住棟が建てられるなかで、公営住宅の設計を任された建築家の市浦健が発案したのが、特徴的な形をしたスターハウスだ。

「戦後の日本の集合住宅では、横に長い板状の住棟や、『テラスハウス』と呼ばれる2階建ての長屋のような住宅が一般的でした。しかし市浦健によって、上に伸びる1点集中型の新たな住棟が登場したのです」(海老澤氏)


全国に広がったスターハウス

 1955年に第1号となるスターハウスが公営住宅に建てられると、翌年には日本住宅公団(現・UR都市機構)でも採用されて、全国に広がっていった。

志賀団地(愛知県名古屋市)のスターハウス(写真:UR都市機構提供)


 不思議な形をしたスターハウスだが、気になるのはその住み心地だ。スターハウスは3~5階建の中層住棟。吹き抜けの三角形の階段室を中心に、3辺それぞれに住戸が配置されている。


当時の日本では画期的だった

 間取りは2DKか3K。3面が窓になっている住宅は、当時の日本では画期的だった。

スターハウスの間取りの一例。3面に窓がある(図:UR都市機構提供)


 そんなスターハウスを海老澤氏は、 “機能主義なもの”と捉えている。

「窓が多く開放的に作られているため、光が効率的に入り、風通しも良好です。多くのスターハウスは南に突き出るように建てられているため、1年を通して光がしっかり入ります。間取りは素朴ですが、居住環境の機能を満たす建築です」

 住戸が隣り合わず独立しているため、声や生活音の心配をせずに暮らせそうだ。窓が多いことで家具の置きにくさが難点だと感じられるが、光や風が入る空間の住み心地は快適だろう。

旧赤羽台団地のスターハウス(写真:UR都市機構提供)


 海老澤氏によると、スターハウスの利点はそれだけではない。

 団地に多い板状の住棟とは異なり、スターハウスは塔のような形をしている。そのため、狭い土地や傾斜地に建てることができ、土地を有効に活用できるのだ。また、景観面に変化を与える側面もある。「単調な団地風景のポイントとなるよう、あえて目立つ位置に配置した例や、板状住棟を建てれば効率よく、多くの人に住宅供給ができるにもかかわらず、スターハウスを建てた例もありました。当時の建築家たちの景観に対する意欲的な姿勢がうかがえます」

旧赤羽台団地を上空から撮影した写真。団地の右エリアに8棟のスターハウスが並ぶ(写真:UR都市機構提供)


 土地を効率的に活用することも、景観を意識して配置することも、スターハウスだから実現できることなのだ。ユニークな形のスターハウス、ちなみに「家賃」は高かったのだろうか。

「スターハウスは基本的に公的な住宅として建てられたもので、家賃もほかの住宅と同じように設定されていたと思われます」と海老澤氏。今は「スターハウスだから住みたい」と憧れて住まいを求める人がいるが、当時はあくまで集合住宅のひとつ。家賃で差をつけていたわけではないようだ。

 ちなみに、赤羽台団地(日本住宅公団)のスターハウス竣工時の入居者公募の資料(2003年北区飛鳥山博物館『団地ライフ─「桐ヶ丘」「赤羽台」団地の住まいと住まい方─』展の図録より)によると、1962年公募当時、住宅専用面積46.99〜48.30㎡のスターハウスの家賃(概算)は9600円〜1万400円とある。

 消費者物価指数を考慮すると、1962年の1万円は、2024年の約5.4万円に相当する計算になる。 5万円台の家賃と聞けば、スターハウスもほかの住宅と同じく、あくまで住まいの選択肢の1つだったことが想像できる。


建物の内部には三角形の階段室も

 スターハウスの形の魅力は外観だけではない。建物内部にある三角形の階段室も見逃せない。

福島県営野田町団地の「スターハウス」の中にある階段室。正三角形の独特の空間だ(写真:海老澤模奈人氏提供)


 福島県福島市にある県営野田町団地にも、市浦健が設計した最初のスターハウスと同じ型の住棟が残っている。海老澤氏はこのスターハウスを訪れた際、階段室の雰囲気に驚いたと振り返る。

「正三角形の螺旋階段を見上げていると、ほかの集合住宅にはない不思議な感覚になりました。薄暗い階段室に天井から光が落ちてくる光景は、幻想的で神秘的でした」

 スターハウスが建設された期間は、意外と短い。

 日本住宅公団の団地では1960年代半ばまでの約10年間でスターハウスが集中的に建てられた。公営住宅では1970年代半ばで建設を終えている。


 これは戦後の住宅不足が克服され、住宅の大量供給の必要がなくなったことや、居住面積にゆとりのある住宅が普及してきたこと、ほかの住宅に比べて建設コストがかかることが理由にあるという。塔状の住棟タイプでは、星型よりも空間を効率的に活用できる、正方形のボックス型が主流となったほか、スターハウスが発展して高層化・拡張化した巨大な住棟も登場。戦後に建てられた中層のスターハウスの役割は終えたのである。


現存するスターハウスの数

 取り壊され、徐々に姿を消しているスターハウス。海老澤氏に現存する数を聞くと、日本住宅公団(現UR都市機構)が建てたスターハウスは286棟のうち33棟が現存している。さらに公営住宅では現在約110棟が確認できているという。

 筆者はスターハウスに憧れ、これまで何度も空き情報が出ていないか調べてきたが、近年見つけることはできていない。

 団地の歴史を肌で感じることができるスターハウス。文化的な価値が認められ、世間での認知度も高まるなかで、保存の取り組みもさらに広がっていくのかもしれない。スターハウスのユニークな形には、敷地や景観への対応に加え、居住性を考慮した機能的な意味もあった。戦後に建てられた住宅のなかで、令和のいまも独自の存在感を放っている。」


 戦後すぐの60年前にこのような斬新な集合住宅が建てられていたことに驚きを覚えます。高い外壁率で建築費は高かったでしょうが、三方を外壁で囲まれた住宅は風通しも良く、住みよさそうです。また、景観的にも、板状のマンションばかりでなく、景観のポイントとなり、団地のデザイン向上にも一役買っていたと思います。昔の設計者の創意工夫に頭が下がる思いです。


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