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  • 執筆者の写真快適マンションパートナーズ 石田

13坪ダイニングキッチンからの始まり

更新日:2021年8月18日



 先日、NHKのプロジェクトクトXの「妻に送ったダイニングキッチン」再放送で戦後の住宅復興期に「日本住宅公団」の創ったわずか13坪の最初の公団住宅の話がありました。

 13坪、わずか43㎡の住宅の中に、2部屋の居室と水洗トイレ・風呂を配置する間取りを考え建設、供給したという話です。


 特筆すべきは、寝食分離(寝る部分と食事する部分を分ける)という概念を、アメリカのダイニングルームとキッチンの機能を一つにしたダイニングキッチン(DK:和声英語)という新しい概念の居室を作ることで解決し、今までは、暗く、冬は寒かった北側に配置されていたキッチンを、日当たりの良い南側に配置し、人造研ぎ石(ジントギ)だった流し台をステンレスキッチンという、主婦の憧れのキッチンに変えて作ったということです。下水道もなかった長屋暮らしが普通だった庶民にとっては、鉄筋コンクリート造の遮音性の高さや、水洗トイレ、おしゃれなキッチン等、夢のような住宅が出来たと喜んだことでしょう。


 公団住宅の第1号は、大阪市堺市の金岡団地(675戸)で1956年4月に完成ということですので、今から65年前のことになります。

 戦後マンションの発展は、この公団住宅を基に、いまだにDK・LDKの発想から抜け出ることが出来ていません。また最初にステンレス流しを作ったサンウェーブ工業は今はLIXILとして、キッチンを世に送り出しています。


 その時代時代を懸命に生きた人々が、戦後復興期の「住宅作りに対する熱い想い」で仕事をしたことを感じられる番組でした。


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